2009年01月17日

原節子と青い山脈

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青い山脈
【作詞】西條 八十
【作曲】服部 良一

1.若くあかるい 歌声に   
雪崩は消える 花も咲く   
青い山脈 雪割桜   空のはて   
今日もわれらの 夢を呼ぶ

2.古い上衣よ さようなら   
さみしい夢よ さようなら   
青い山脈 バラ色雲へ   あこがれの   
旅の乙女に 鳥も啼く

3.雨にぬれてる 焼けあとの   
名も無い花も ふり仰ぐ   
青い山脈 かがやく嶺の   なつかしさ   
見れば涙が またにじむ

4.父も夢見た 母も見た   
旅路のはての その涯の   
青い山脈 みどりの谷へ   旅をゆく   
若いわれらに 鐘が鳴る

青い山脈は、石坂洋次郎の長編小説。1947年に「朝日新聞」に連載され、それを今井正監督により1949年に映画化されました。

1949年版

1949年版の原節子(右)と杉葉子(左)正続2編。正篇7月19日公開、続篇7月26日公開。東宝と松竹が映画化権を争い、松竹が木下惠介監督を提示したことから東宝側は負けるのを覚悟したが最終的には東宝が映画化権を獲得。途中に東宝争議があり、プロデューサーの藤本真澄は東宝を退社して藤本プロを設立する。この時期機能が麻痺していた東宝では各プロデューサーの独立プロにスタジオを貸す方式をとっており、本作は藤本プロと東宝の共同作品となる。著作権の保護期間が終了したと考えられることから現在激安DVDが発売中(但し監督没後50年以内なので発売差し止めを求められる可能性あり)。

◆映画青い山脈1949年版


キャスト(役名)
池部良 イケベリョウ (金谷六助)
杉葉子 スギヨウコ (寺沢新子)
赤木蘭子 アカギランコ (新子の母)
若山セツ子 ワカヤマセツコ (笹井和子)
原節子 ハラセツコ (島崎雪子)
龍崎一郎 リュウサキイチロウ (沼田玉雄)
木暮実千代 コグレミチヨ (梅太郎)毎日映画コンクール助演女優賞を受賞
山本和子 ヤマモトカズコ (松山浅子)
矢崎浩 ヤザキヒロシ (富永安吉)
永田清 ナガタキヨシ (井口甚藏)
飯野公子 イイノキミコ (北原)
薄田研二 ススキダケンジ (武田校長)
藤原釜足 フジワラカマタリ (不明)

スタッフ
演出
今井正 イマイタダシ

製作
井手俊郎 イデトシロウ
藤本真澄 フジモトサネズミ

原作
石坂洋次郎 イシザカヨウジロウ

脚色
小国英雄 オグニヒデオ
今井正 イマイタダシ

撮影
中井朝一 ナカイアサカズ

音楽
服部良一 ハットリリョウイチ

美術
松山崇 マツヤマタカシ
Peter Lamont ピーター・ラモント

録音
下永尚 シモナガヒサシ

照明
石川緑郎


歌詞の意味はこの時代背景を抜きにしては理解できません。
「古い上着」(戦前の古い因習習慣思想などの象徴)や「さみしい夢」(敗戦国日本)に決別し、「焼け跡の 名も無い花」が「青い山脈」を「ふり仰ぐ」、これは再生の始まった新しい日本の姿であり、「父も夢見た 母も見た 旅路のはての その涯の 青い山脈」とは戦中にはたせなかった自由(発言、表現、恋愛などの自由)と平和(紛争や戦争のない家庭や国家などの平和)、平等(男女平等など)への道程である。生活物資は不足し人々の生活は貧しく苦しいものではあったが、やがて来るであろう「みどりの谷」(明るい未来)の確信が人々の心にあった。そしてこれ以上のどん底はなく後は必ず良くなるという前向きの考えが良く現れている歌詞であり、美しく、明るく、親しみやすいメロディである。

◆青い山脈1949年版Youtubeより





青い山脈は石坂洋次郎原作、青春映画の元祖的作品。封建的な気風の残る東北のある地方都市の女学校を舞台に、戦後民主主義のもとで恋愛の解放をユーモラスに描いた青春映画。

原節子は、仲を誤解された旧制高校生徒と女学生をかばい、新しい男女の交際のあり方を説いて古くさい考えにこだわる人々と闘う知的な女学校の先生・島崎雪子を颯爽と演じ、輝くばかりの明るさ、みずみずしい美しさをファンの脳裏に焼き付けた。

原節子をなくして日本映画は語れないのである。青い山脈で原節子は銀幕のスタアとしての地位を確立すると共に戦後日本民主主義のジャンヌダルクとなったのである。

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★原 節子(はら せつこ、本名:会田 昌江/あいだ まさえ、1920年6月17日 - )は、日本の女優。

「永遠の美女」「永遠の処女」などと謳われた日本映画黄金時代の大女優であるが、42歳の時に引退した。

経歴
神奈川県横浜市保土ヶ谷区出身。1935年『ためらふ勿れ若人よ』で日活から映画デビュー。芸名は同作の役名「お節ちゃん」に由来する。

1937年、初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役にアーノルド・ファンク監督が選んで注目される。ファンクは当初、田中絹代をキャスティングしたが契約上の問題で果たせず、原節子を代役に立てることになった。伊丹万作監督が協力したこの作品は、ファンクが編集した作品と伊丹が編集した作品が日本では公開されファンク版がヒットとなった。ドイツでもヒットし、当時のドイツ要人も鑑賞するなど話題を呼んだ。原は義兄の熊谷久虎や他の映画監督と共にドイツに渡り、和服姿でこれら要人を表敬訪問している。この後世界一周旅行をへて帰国、東宝に移籍。

太平洋戦争中は、1942年の『ハワイ・マレー沖海戦』をはじめとする国策映画のヒロイン役に多数出演した。

1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の主題歌「青い山脈」とともに大ヒットとなった。また同年から1961年まで、小津安二郎監督と組んだ6作品は、日本映画を代表するものとして、国際的にも有名になった。

1962年の『忠臣蔵』を最後に映画界を引退。1963年、小津安二郎監督の葬儀に姿を見せて以降、公の場に姿を現さないように隠棲。その後は神奈川県鎌倉市で親戚と暮らしているという。

2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」では原が女優部門の第1位に選ばれている。


主な出演作品

『新しき土』(1937)
『安城家の舞踏会』(1947)
『青い山脈』(1949)
『白痴』(1951)
『東京物語』(1953)『河内山宗俊』(山中貞雄 監督、1935年)
『緑の地平線』(阿部豊 監督、1936年)
『新しき土』(アーノルド・ファンク 監督、1937年)
『巨人伝』(伊丹万作 監督、1938年)
『田園交響楽』(山本薩夫 監督、1938年)
『上海陸戦隊』(熊谷久虎 監督、1939年)
『指導物語』(熊谷久虎 監督、1941年)
『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎 監督、1942年)
『決戦の大空へ』(渡辺邦男 監督、1943年)
『北の三人』(佐伯清 監督、1945年)
『緑の故郷』(渡辺邦男 監督、1946年)
『麗人』(渡辺邦男 監督、1946年)
『わが青春に悔なし』(黒澤明 監督、1946年)
『安城家の舞踏会』(吉村公三 監督、1947年)
『三本指の男』(松田定次 監督、1947年)
『誘惑』(吉村公三 監督、1948年)
『幸福の限界』(木村圭吾 監督、1948年)
『青い山脈』(今井正 監督、1949年)
『晩春』(小津安二郎 監督、1949年)
『お嬢さん乾杯!』(木下惠介 監督、1949年)
『七色の花』(春原政久 監督、1950年)
『白痴』(黒澤明 監督、1951年)
『麦秋』(小津安二郎 監督、1951年)
『めし』(成瀬巳喜男 監督、1951年)
『東京物語』(小津安二郎 監督、1953年)
『山の音』(成瀬巳喜男 監督、1954年)
『ノンちゃん雲に乗る』(倉田文人 監督、1955年)
『驟雨』(成瀬巳喜男 監督、1956年)
『大番』四部作(千葉泰樹 監督、1957〜58年)
『東京暮色』(小津安二郎 監督、1957年)
『智恵子抄』(熊谷久虎 監督、1957年)
『女であること』(川島雄三 監督、1958年)
『東京の休日』(山本嘉次郎 監督、1958年)
『日本誕生』(稲垣浩 監督、1959年)
『娘・妻・母』(成瀬巳喜男 監督、1960年)
『秋日和』(小津安二郎 監督、1960年)
『小早川家の秋』(小津安二郎 監督、1961年)
『忠臣蔵』(稲垣浩 監督、1962年)

原節子ー永遠の処女と呼ばれているー
  ・T9年、横浜市保土ヶ谷区生まれ、本名会田昌江。
  ・14歳、熊谷久虎監督(姉光代の夫)の勧めで多摩川撮影所入社デビュー。
   「ためらう勿れ」「緑の地平線」ほか。
  ・17歳、日活から東宝に転社。
  ・26歳(昭21)、「わが青春に悔いなし」(黒沢明)。民主主義の女神と
   いわれる。いい監督に恵まれてこそ‥。
  ・27歳、「映画ファン」女優ベストテンで1位。
  ・29歳、小津との最初の作「晩春」。規範的な日本女性。「お嬢さん乾杯」
   (木下)「青い山脈」(今井)など。絶好調の年。仕事・結婚など大い
   に語る。。
  ・31歳、「白痴」(黒沢)、「麦秋」(小津)、「めし」(成瀬)。再び
   毎日映画コンクール女優演技賞、ブルーリボン賞。大女優としての地位
   を決定づける。鎌倉の別邸での生活。人気頂点。
  ・33歳、「東京物語」(小津)ー貞淑で親思いの未亡人の物語。戦後の原
   節子神話。
  ・34歳、左眼白内障のため闘病生活に。浄明寺熊谷宅で食餌療法を受け、
   慶応病院で手術。その後、復帰。
  ・41歳、「小早川家の秋」(小津)、「忠臣蔵」(稲垣)。昭和27〜36年
   まで、東宝カレンダー9年連続正月。
   静かなる引退、会田昌江に戻る。
  ・43歳、小津の葬式に参列が、世間に顔を出した最後。
   引退2年後、浄明寺熊谷宅に隠棲。
  ・H18年末(85歳)、浄明寺の家から医療マンションに移ったとの情報
   乱れとぶ。




posted by hogaboy at 09:28| Comment(0) | 女優 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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